竜太です.
今回は精神的苦痛と肉体的苦痛の違いについてお話します.
絶対に逃れられないのが肉体的苦痛
悟った坊さんなら知りませんが(悟りは存在しないけどねww)普通の方は絶対に肉体的苦痛からは逃れられません. 何を当たり前なことをと思うかもしれませんし,いやいや修行をすれば・・・などと夢みたいなことを言う人もいます. 確かに,体中串刺しにされて平気そうにしているインドのヨガ行者とかもいるみたいですね.分かりませんが. ですが,通常の状況ではやっぱりどんなことがあっても肉体的苦痛からは逃れられないのが現実です. 肉体的苦痛はやはり逃れられないのです.
精神的苦痛はあきらめれば無くなる
一方,精神的苦痛は違います. 息子を交通事故で無くした母親の苦しみは大きいでしょうが,それでも20年位経つと比較的穏やかな苦しみになる場合が多いのが知られています. 誰にでも平等に与えられた時間が魔法のように癒す,という表現を使う人さえいます. でもよく考えてください.そもそも赤の他人の子供が死んでも大して苦しくないのが普通の人です. 一体その差は何なんでしょうか? 僕はその差を「諦められるかどうか」だと思っています. 赤の他人が死んだことは普通の人にとっては容易に諦められることです. 一方,自分の息子が死んだのは死んだ直後はほとんどの人が精神的に諦めきれないのだと思います. だから苦しむんです. 一方,亡くなって20年も経てば多くの人は諦められるようになるのです. そうして精神的苦痛は小さくなってゆくのです. そう,つまり本当に諦められれば精神的苦痛は完全になくなるのです.
諦めることは手放すこと
さてここで,あきらめるとはどういった意味があるのか考えてみましょう. 実は諦めるとは手放すことそれ自体なのです. つまり,母親が息子の死に整理がつけられたとは息子を手放せたという意味なのです.
諦めること手放すこと求めないこと
こうして分かることは精神的苦痛は原則的に言って全て求めているのに得られないことから起こっていることが分かります. つまり,何も求めない人には精神的苦痛は存在しえないのです. この考え方は原始仏教や老子のタオに通ずるところがあります.
求めない
求めない そうすると心が軽くなるよ
求めない そうすると自由になれるよ
求めない そうすると疲れが吹き飛ぶよ
求めない 求めない 求めない
加島 祥造さんの素敵な本を紹介して閉めます. www.amazon.co.jp
ここまで読んでくださって有難うございます. 何か間違い等ございましたら,ご報告いただけると幸いです^^