どーも,竜太です. 新年二発目は『カルマ』についてです. そんな怪しげな非科学的なもの・・・とまゆを顰めるアナタ, 貴方にこそ必要かもしれませんよ.
強者が勝つ原理は存在するか?
仏教では立派な行いをして功徳を積むとカルマが良くなって 放っておいても成功するようになるかのような教えがあります. 一方,投資の世界では相当悪こぎ(阿漕)なことをして儲かるというのが, むしろ一般的すぎます. いったいどちらが真実なのか,あるいはどちらも間違っているのでしょうか?
何で強者になるかの違いだった!
例えば軍人の成功者が居たとします. 仏教的には恐らく,「正しいものに仕えて人を殺したからカルマが良くなった!」 ということになるのでしょうが,あり得るでしょうか? 直感的に言って詭弁のように感じます. そうではなく,ただ一つの原理,
「どんな方向性の才能でも,強い才能を持った奴が強い!」
という身もふたもない話の方がよっぽど説得力がありませんか? この話だと,軍人が聖者に負けて殺された場合は,聖者のカルマが良かったわけでも, 軍人が悪かったわけでもありません.ただ単に軍人が弱かっただけです. ただし,通常の状況では軍人はめっぽう強くて,聖者に勝つことなど造作もなくできます. アメリカのかなりまともだったケネディー大統領は殺されたし, インドのガンジーも殺されました.また,キューバとボリビアの革命を指揮した 同士ゲバラ(チェ・ゲバラ)も殺されました.彼らはカルマが悪かったから殺されたのではなく 単に弱かったから殺されただけです.古くはイエスキリストさえ殺されました. このように世の中はカルマの良い人が生き残る原理ではなく,良心が無くても強い人が 生き残る原理でできているのです.
それではなぜ昔から仏教界では功徳を積むとカルマが良くなると信じられているのでしょうか?
カルマとは量子もつれだった!
実はカルマはある方向性の強さだったのです. それは現存しうる最大の情報量である『量子情報』というものでした. つまりカルマが良いとは量子情報が大きいという意味だったし,それにすぎないのです. 仏教には『縁』という考えがあります. 縁は功徳を積む対象と深く結びついており,例えば縁のある人を助けるとその人のカルマが良くなると言われています.また仏教ではすべての生けとし生けるものに縁があるのが人間だと教えます.そしてこの縁こそが物理学的に言えば『量子もつれ』だったのです! だから,できるだけ多くの量子もつれを助けるとより大きな量子もつれができるのだったのです.より大きな量子もつれがある魂を一般に「カルマが良い」と呼んでいるのです. このため,仏教僧のなかにも経済的に豊かだが悪人を指して「彼はカルマが悪い!」などと いう場合があるのです.簡単に言えば強いことは強いが量子もつれが全くない強さが 「カルマの悪い強さ」だったのです.
カルマが悪くなりすぎると単にカルマがなくなる
ところで量子もつれがなくなると最後はどうなってしまうでしょうか? 意外なことに人の場合死んだりしません. ただし,データ以外で本質的に多世界を感知する能力,感受性がなくなってしまいます. だから心の本質について尋ねられても,データ的に覚えたことしか答えられません. また,当然ですが味覚・嗅覚・痛覚も無くなります.
「え,それはないでしょ?」
と思うでしょう. ところがそうなんです. 例えばトウモロコシの見た目のものを食べれば見た目はデータ的に分かるので,
「甘いトウモロコシですね♪」
と,味覚が無くても答えます. ところが,無色透明の気体で臭い空気を奇麗な環境みたいに見えるところで流すと,
「空気がすがすがしくって気持ちいいですねー」
などと,分かった風の口をきいてしまうものなのです.
嗅覚はデータだとしても視覚と異なり,量子もつれ的であると考えられます. また,泣くこともできるし,笑うこともできるし,痛がることもできますが,全てデータですので, 例えば焼きごてを万が一押し当てられると心のある人の方がはるかに強く苦しんでいるように見えてしまいます. 演技がパーフェクトではないからです. また,本質的に食欲がありませんので,その意味に限り,痩せてて美しい人もちらほら散見されます. ただし,これは当然痩せている人がみんな心がない証拠だという意味ではありませんのでご注意ください. ちなみに僕の体重は現在太ってしまって64.9キログラムもあります.身長173cm,年齢49歳ですのでやや太ってはいますが, 若干痩せてた時期もあります.これをもって僕に心がないとかあるとかいうのは控えていただけると幸いです. ただ,これは本当なのですが,量子もつれがなくなってくると本当に退屈な人間になってしまいます. 空想的なことを言える人や科学が分かる人,芸術や詩の感覚がある人の大半が心豊かな人たちです. 手前味噌ですが,ずっと以前に僕が作った詩を読んで下さい:
辛いとき涙を見せず
嬉しいときその喜びさえ隠そうとする
そんな人たちは樹々に似ている
樹々は黙って切り倒される
そんな樹々が一番大きくて暖かくて
そして優しいのかもしれない