竜太のテクニカルメモ

物理やへっぽこなゲーム作りについて易しく解説するよ

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私だけではない,我々すべてが神だった!

ども,竜太です.

今回僕は科学的に妥当でありながら,とびっきりぶっ飛んだ事実に気付きましたのでご報告します. それは

「我々すべてが神だった!」

といことです.

私たちは無敵!?

自由意思のある存在は仮に死ぬか殺される,或いは自由意思を失うとその人の世界が 量子力学的に分裂した影の世界に移行してしまう. このため,実際のあなたは永遠の命を自由意思のある間だけ持ち続けるが, そもそも,自由意思を失うとそれは陰の世界のあなたなので認識できない. このため,認識できるあなたはあなたの周囲の環境が良くても悪くても永遠の命を有する.

眠っているときは意識がほぼ無いのに死なないのか?

熟睡しているときは意識はほぼありません. 当然その時には殺すことすらできるように思われます. 実際にはどうなのでしょうか? 眠っているときに起こさずに殺してしまったとしましょう. そのとき,あなたは殺されたことを認識できますか? 当然起きない限り認識できないはずです. このとき,無限の時間目が覚めないのが殺された世界です. 一体どうやったら半日眠ったも3日眠ったも区別できるでしょうか? 確かに時計などで判断できますが,起きた後の情報に基づかない限り, 眠っている間の時間経過は全く感じないはずです. このように,自由意思のない状態ではそもそも世界を認識できない故に, 認識さえできていればその存在の寿命は永遠なのです.

年老いて死ぬもないのか?

人はみな年老いてゆきます. 私も今年で50歳になります. これを常識的に考えれば,「人はやはり死ぬのではないか?」 ということが言えそうです. 実際にはどうなのでしょうか? ここでも,眠っているときの状態の問題が挙げられます. 眠って目覚めたとき,あなたは元のあなたでしょうか? 一見すると意識の一貫性はあるようですが, 自分が自分であると認識できる点を除けば,一貫性はありません. 場合に寄ったら,気分が激変していることすらあり得ます. ここから分かることは死ぬ前の自由意思を失う直前に 年老いてみすぼらしくなった人生を感じながら, ある瞬間に自由意思を失ってそこからしばらく生き, ずっと長い無限に近い月日を経てどこかの量子宇宙か何かにまた赤ん坊として 自由意思を持った存在としてまた存在するようになるのかもしれないのです. ここでの味噌は「自由意思を失ったらそもそもそのことが認識できない」ということです. これにつきます.

我々すべてが原理的に死ぬことができない

ここから分かることは,実は我々すべてが原理的に死ぬことができないということです. もちろん自殺はできますが,自殺で死ぬのは赤の他人の自由意思を持たない自分であって, あなた自身ではないということです. 自殺はつらい現実から逃れるためにするのが普通なのに,自殺しても決して苦しみの無い, 心の無い状態にはなれないのです. 我々はその意味で心の状態は変化するものの,決して死ぬことができない存在だったのです. 自殺が殆どの場合主観上の世界を悪くし,しかも助かるか,或いはそれすら不可能なら 完全に赤ん坊かなにかから始まる生まれ変わりの世界になってしまうことがご理解いただけたでしょうか? 自殺は道徳的に悪いからすべきではないのではなく,ただ単にほとんどの場合,当人が大損するだけだから しない方が身のためなだけだったのです.但し肉体の苦痛が極限まで大きい場合の安楽死の是非については これまでの議論からは分かりません.

死んでゆく人々を観測する神々

もうお判りでしょうか? 皆さんが死んでゆく人を観測できるのは, 皆さんに自由意思があるからですが,死んでいった人たちはどこかの時点か 或いは最初からか自由意思などなくなっていたはずなのです. 直感的に言って前者が正しそうですが, 正直言って僕自身もこの点についてはハッキリとしたことが分かりません. こんな反道徳的なこと,もちろん僕だって書きたくありません. だけど,臭い物に蓋をするでは,いつまでたってもこの問題に対する対策は前進しません. 辛い現実ですが,勇気をもって生き抜く努力をしてゆきましょう. 自由意思を携えて.

結局仏教が正しいのか

この量子力学的世界観は明らかに仏教的に思えます. ただし,これは仏教の言っているようななんでも理解できる状態が悟りであるということと むしろ完全に対局です. 悲しいことに,我々の意識は永遠ですが,我々の知識は永遠ではなく,また赤ん坊のころの 辛い人生をやり直す必要が出る可能性が高いです. こうなると,僕は憤りを感じずにはおれません. 一体なんで私たちはこんなに不条理なやり方で永遠の命を手にしているのでしょうか. 輪廻転生の存在はほぼ確実ですが,輪廻から解脱することができる原理については 今のところ僕は信じて居ません. 私たちの魂はいったいどこに向かっていこうとしているのでしょうか?